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小松原学がサッカー引退後の現在や日本代表時代の怪我【消えた天才】

小松原学がサッカー引退後の現在や日本代表時代の怪我【消えた天才】

小松原学のサッカー引退理由や現在の姿!

稲本潤一さんや中澤佑二さんから天才と言われていた小松原学さんというサッカー選手をご存知でしょうか?

日本代表に必要不可欠な存在となるはずが、若くして引退。

小松原学さんの現在や怪我に悩まされた現役時代について紹介したいと思います。

【今回の消えた天才】
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小松原学というサッカー選手

まずは小松原学というサッカー選手について紹介していきます。

小松原学
小松原学というサッカー選手

名前:小松原学(こまつばらまなぶ)
生年月日:1981年4月2日
身長:182cm
体重:70kg
ポジション:フォワード

群馬県に生まれた小松原学さんは小学校の時に地元群馬のFC邑楽というサッカークラブに所属し、全日本少年サッカー大会で活躍します。

そこでベスト8入りを果たし、中学校では地元を離れベルマーレ平塚のジュニアユースに入りプロを目指します。

小松原学さんはそこでまだ中学校という若さでU-17の日本代表に選出され高原直泰選手や小野伸二選手ら後に、A代表で日本を引っ張る選手とともにプレー。

着実にステップアップを果たした小松原学さんは平塚学園高校へ進学後し、ベルマーレ平塚ユースに昇格。

高校1年生にして小松原学さんはプロとしてJリーグの試合に出られる2種登録となり、なんと17歳9日という年齢でJリーグデビューを果たしたのです。

現在では森本貴之さんの15歳11カ月28日が最年少記録となって今が、当時の最年少出場記録は小松原学さんが持っていました。

小松原学さんくらい若い選手が出場するということは、当時のベルマーレ平塚は弱かったのかというとそうではありません。

ベルマーレ平塚には中田英寿さん、呂比須ワグナーさん、都並敏史さん、名塚善寛さん、洪明甫さんなどがいましたからね。

しかも、高校2年生になるとJリーグ25試合に出場して5ゴールをあげるという活躍を見せ周囲を驚かせます。

突破力のある力強いドリブルはプロ相手にも通用し、並外れたゴールへの嗅覚は天才そのものでした。

しかし、中田英寿さんの海外移籍や主力選手の流出により、チームの主軸は小松原学さんに。

大きなプレッシャーを抱えるも絶対にチームを引っ張るという気持ちで必死に奮闘します。

それでもチームは低迷しJ2へ降格。

湘南ベルマーレと名前が変わり小松原学さんはエースとして期待されますが、スランプに陥り出場試合20試合でわずか4ゴールに終わってしまいます。

それでも小松原学さんは年代別の日本代表には呼ばれていて稲本潤一選手や小野伸二選手など2つ上の年代に混じってプレーをしていました。

日韓ワールドカップで一緒にプレーするイメージはありました。

稲本潤一選手は年下である小松原学さんの才能を認め、一緒に日本代表(A代表)でプレーすると思っていたのです。

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小松原学は消えた天才?

しかし、小松原学さんが日本代表として2002年の日韓ワールドカップに出場することはありませんでした。

日韓どころか、A代表にすら呼ばれず若くして引退していたのです。

天才がなぜ?

小松原学が日本代表に選出されなくなった

小松原学さんはこれまで飛び級で各年代別の日本代表に呼ばれてきました

小松原学が日本代表に選出
小松原学の代表歴
・U-16日本代表(1996年)
・U-18日本代表(1997年)
・U-19日本代表(1998年)

このとき、小松原学さんは自分こそが最高のサッカー選手だと思い込んでしまい完全に調子に乗ってしまいます。

小松原学さん本人も、当時の自分の態度についてこう語っています。

1番下だけど1番態度がデカイと言われてた(笑)

他の選手を下に見て、気に食わない選手にはラフプレーをするのは当たり前。

素行不良や練習態度の悪さが目立つようになり、徐々に調子を落とし始めます。

小松原学さん本人も当時の自身の行動や態度を反省しているようですね。

そして調子を落とした小松原学さんはクラブでも出場機会を得られなくなり、当然のように日本代表にも呼ばれませんでした。

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小松原学を怪我が襲う

また、小松原学さんが引退する原因の一つに怪我もありました。

小松原学を怪我が襲う

年代別の代表に呼ばれても怪我をしてしまい、試合には出場できないといったことを繰り返し、徐々にストレスが溜まり始めます。

右足の怪我と左足の怪我を交互に繰り返して試合に出場し続けること2年。

小松原学さんの足はサッカーを続けるのは困難なほどの状況に。

湘南ベルマーレからも解雇され、所属クラブを転々とするも結果が出ず怪我とストレスでスランプから一向に抜け出せなくなりました。

天才である自分が、人を見下していたのに活躍できない。

劣っていることを認めたくないけれど結果を出すどころか出場すらできない自分がいる。

これまでもてはやされてきた天才・小松原学さんにとってプライドが大きく傷つけられ味わったことのない挫折だったに違いありません。

小松原学さんのサッカーに対する気持ちは切れ、2004年という若さで現役引退することになりました。

22歳という若さでの引退でした。

小松原学の現在

小松原学さんはサッカーを引退した現在、柔道整復師、鍼灸按摩マッサージ指圧師の資格を取得してアスリートだけでなくアーティストの施術をしています。

顧客には梅沢富美男さんやケツメイシがいるそうです。

また、生まれ故郷の群馬県にあるザスパ草津のジュニアユース館林の監督として、次世代のサッカー選手の育成に励んでいます。

小松原学の引退後の現在

2017年にはプレミアリーグU11群馬の立ち上げ、代表として群馬県のサッカーを盛り上げようとしています。

挫折をせずにプロになった小松原学さんだからこそ、子供達に教えられることもあるでしょうね。

また、2016年にワンシーズンだけ社会人サッカーチームのブランデュー弘前でプレーしましたが、その後選手としては完全に引退しています。

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小松原学のサッカー人生と引退後の現在まとめ

小松原学さんは幼い頃からサッカーの才能を開花させ、中学校でU-17に選出されるなど将来日本代表を背負って立つと思われていた逸材でした。

その後も順調にステップアップして各年代の代表に呼ばれていましたが、そのうち調子に乗ってしまい転落。

怪我も重なり思うようなプレーができず、スランプから抜け出せなくなり引退しました。

現在はアスリートの健康の補助を行ったり、子供達にサッカーを教えるだけでなく、よりサッカーを広めようと精力的に活動しています。

天才小松原学さんが撒いた種が、日の丸を背負って世界で活躍する日が来ることを祈っています。

【今回の消えた天才】
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