石井章夫がドラフト拒否し東京ガス監督に!古田敦也が敗北【消えた天才】

石井章夫がドラフト拒否し東京ガス監督に!古田敦也が敗北【消えた天才】 消えた天才

古田敦也が負けを認めたキャッチャー、石井章夫がドラフト拒否して東京ガスに入社していた!

そして、プロ野球に進まずに社会人野球日本代表監督に。

消えた天才が現在の道を選んだ理由や石井章夫監督としての成績についてまとめました。

【消えた天才】
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石井章夫に古田敦也が敗北宣言?

強肩でコントロール抜群、野球脳ピカイチの古田敦也に「この人だけには勝てない」と言わしめた石井章夫という野球選手をご存知ですか?

石井章夫と古田敦也

社会人野球で初めて古田敦也が彼を見た時、とにかく衝撃を受けたそうです。

古田敦也
古田敦也

ホームベースから盗塁を刺す送球が見たことのない速さだった…

古田敦也もかなりの強肩で盗塁阻止率6割4分4厘というとんでもないシーズン記録を持っています。

そんな古田ですら驚いた石井章夫の送球スピード。

プロ通算の盗塁阻止率4割6分6厘の古田敦也がたった一度見ただけで完全に敗北を悟った。

古田敦也
古田敦也

彼の存在がなければ今の僕はいない。

古田敦也は石井章夫という天才の存在にショックを受け、この人を超えないとプロではやっていけないと闘志を燃やし、努力を重ねたそうです。

古田敦也はプロとして成功できたのは、石井章夫という男の存在があったからと語っているほど。

さらに、長嶋一茂と古田敦也が認めたあの志村亮と同じ慶応大学でバッテリーを組んでいたのです。

志村亮 現在 三井不動産志村亮

この時の慶応大学は消えた天才だらけですね。
関連:幻のドラフト!志村亮がプロ拒絶の真相!

では、古田敦也が認めた天才、石井章夫とはどんな人物なのか見ていきましょう。

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石井章夫の野球人生

まずは石井章夫という野球選手のプリフィールを簡単に紹介しましょう。

石井章夫
石井章夫

名前:石井章夫(いしいあきお)
生年月日:1964年9月30日
出身:神奈川県
ポジション:捕手
右投げ右打ち

神奈川県で生まれ育った石井章夫は野球の名門である桐蔭学園高校に入学します。

桐蔭学園高校は1971年に甲子園に初出場し初優勝を果たしています。

その後は春6回、夏6回の甲子園出場経験があるのですが、石井章夫が桐蔭学園高校の時には一度も甲子園の舞台に立つことはかないませんでした

ですから、それまで才能を持ちながらもあまり世間には知られていなかった石井章夫。

プロ球団の目に止まることもなく、当然のようにオファーは来ません。

無念の高校野球生活を終えると、慶應義塾大学に進学が決まり、そこでも野球部に入りました。

大学に入り石井章夫の注目度は一変

石井章夫が進学した慶應大学は大学野球の中でも特に注目度の高い東京六大学リーグにあるため、石井章夫の活躍はすぐさま日本野球界に知れ渡ります。

石井章夫の大学野球の成績
東京六大学リーグ通算60試合出場
199打数45安打(打率2割2分6厘)
3本塁打
15打点
ベストナイン2回選出

正直キャッチャーの成績を数字で見てもイメージが沸かないかもしれませんが、ベストナインに2回選ばれているということが凄さを物語っています。

そして石井章夫が4年生の1985年秋季リーグで歴史的無敗優勝を収めているのです。

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石井章夫がドラフト拒否した理由

大学リーグでの活躍を見てプロ球団から注目された石井章夫は1986年に横浜大洋ホエールズからドラフト2位指名をもらいます。

プロ野球選手は小さい頃からの夢でした。

そう語る石井章夫の夢がついに叶う瞬間が訪れたのです。

しかし、なんと石井章夫はせかっくのドラフト指名を拒否しプロ入りしないと言い出しました。

石井章夫がドラフトを拒否

プロを志願していたはずの石井章夫がなぜ?

実は石井章夫の家では父親が早くに他界していたため、成功する確証のないプロ野球の世界へ進むにはリスクが大きすぎたのです。

石井章夫には母と7歳下の弟(貴)がいて二人を養わなければいけませんでした。

確かにプロ野球選手になればお金をたくさんもらえるかもしれませんが、もしもの事を考えると決断ができません。

怪我をしてしまったら?
戦力外になってしまったら?

プロなら通用しなかったらお払い箱だけれど、社会人野球ならダメでも社業に就いて生活は守られる。

夢は自分に手を伸ばしている。

しかし石井章夫はドラフト拒否という形でプロ入りを断念したのでした。

諦めるしかなかった…

当時は現在のようにネットで情報を簡単に得られる時代ではありませんでしたから、石井章夫の詳しい事情を知らずに不審に思う人も多くいました。

この苦渋の決断に対して世間は「プロ入りを蹴った男」と哀れみ、家族を守った石井章夫をバッシングしたのでした。

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石井章夫が東京ガスに入社

そして石井章夫はドラフト蹴ってプロ入りを拒否して東京ガスに就職することになります。

実力は申し分ない石井章夫ですから、東京ガスの野球部ではレギュラーとして出場しその後12年間プレーして現役を引退しました。

石井章夫と東京ガス

そして東京ガスの社業につき働き、2003年には東京ガスの監督として3シーズン、チームを指揮しました。

大学時代には活躍しプロ球団からのラブコールを受けた石井章夫は社会人野球で日本代表には選出されませんでした

社会人野球で古田敦也を驚かせたにも関わらず。

ちょうど石井章夫がドラフト拒否する前の年に、同じく捕手でドラフトを拒否した天才がいました。

その人物が高見泰範。
関連:もう一人の消えた天才、高見泰範とは

高見泰範は社会人野球で日本代表に選ばれ、バルセロナ五輪に出場し銅メダルを獲っています

東京ガスではない別のチームに行っていたら、プロにならずとももう少し輝かしい野球人生を送れたかもしれませんね。

石井章夫の弟はプロ野球選手

プロ野球選手になる夢を諦めた石井章夫でしたが、弟の石井貴が兄の果たせなかったプロの夢を叶えています

石井章夫の弟

弟の貴は石井章夫より7歳年下。

1993年のドラフト会議で西武ライオンズから1位指名を受けてプロ野球選手となりました。

石井貴はプロ入り当初は制球力の低さに苦しみましたが、1999年と2000年には2年連続で2桁勝利を達成。

14年間の現役生活を終えて引退を表明しました。

兄、石井章夫の分まで精一杯プレーしたのでしょう、10年間も右肩の怪我をこらえた石井貴は、

もう私の肩は上がりません、一生懸命、投げてきました。

と涙を流しながら挨拶してマウンドを降りています。

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石井章夫監督としての成績

最後に石井章夫監督としての成績を紹介したいと思います。

石井章夫監督の成績

石井章夫監督は2017年に社会人日本代表監督に選ばれて、BFAアジア選手権を戦っています。

現役時代には戦うことができなかった日本代表という場所に、監督として挑むことは石井章夫にとって喜びでした。

そして迎えた第18回BFAアジア選手権。

石井章夫監督率いる日本代表は韓国やチャイニーズタイペイという強豪を下して見事優勝を果たしています。

監督としての能力をかわれて、石井章夫は2018年も引き続き社会人日本代表を率いています。

石井章夫ともう一人の消えた天才

石井章夫以外にもドラフトを拒否してプロ野球に進まず、社会人野球の道を選んだもう一人の消えた天才がいます。

それが上でも紹介した高見泰範(たかみやすのり)。

彼は社会人野球で古田敦也と共にプレーし、オリンピックにも出場しています。

消えた天才番外編、高見泰範という天才についてはすぐ下の記事でどうぞ。
関連:もう一人の消えた天才、高見泰範とは

【今日の消えた天才】
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コメント

  1. TM47-S50 より:

    お初です。この人を紹介した「消えた天才」を見ましたよ。
    うーん、私は、この人の学歴紹介を聞いた時(桐蔭学園→慶大)、途中まで、
    「現・慶大野球部監督の、その実兄・大久保孝昭氏」
    のことかと思っていたのですが、その1年先輩でしたか…(苦笑)

    高校野球でその方を見かけなかったというのは、まあその頃は三浦将明(横浜高校→中日)もいましたからね(神奈川県予選で直接対決ありましたかね?)。
    「五輪代表で古田敦也選手が見かけて驚いた」の少し前は、
    確か長嶋一茂選手(立教大→ヤクルト)とも大学野球で勝負していましたか。
    そのドラフトでもしその方が入団していたなら…多分谷繁元信選手(江の川→大洋)の運命がもう少し変わっていたでしょうか(苦笑)。

    てか、最後のオチが秀逸…高木大成選手(平成3年夏の甲子園に登場)が平成7年のドラフトで西武に入団した直後、そこで「2年先輩」ということになった石井貴投手に「俺の兄の、高校の後輩?」と驚かれた光景が目に浮かんで、笑ってしまいました…。