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小松晃の現在と消えた理由!サッカー日本代表の幻のゴールと高校時代!

小松晃の現在と消えた理由!サッカー日本代表の幻のゴールと高校時代!

消えた天才、小松晃が消えた理由と現在は!

高校時代の伝説の50mゴールで有名となり、わずか18歳という若さで日本代表に選出されデビュー

そのデビュー戦ではポーランド相手に伝説のゴールを決めるも、それが小松晃さんの最後の代表戦となった。

釜本2世とも呼ばれた天才サッカー選手、小松晃さんが消えた理由は?

乾貴士さんや中島翔哉さんも驚くスーパーゴールの動画も用意していますので、ご覧ください。

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小松晃(サッカー選手)のプロフィール

まず初めに小松晃というサッカー選手の簡単なプロフィールを紹介します。

小松晃
小松晃(サッカー選手)のプロフィール

名前:小松晃(こばやしあきら)
生年月日:1962年4月3日
出身:秋田県由利本荘市
元サッカー日本代表FW

小松晃さんは1978年に秋田県の西目農業高校に入学しサッカー部に入ります。

西目農業高校は秋田県ではサッカーの強豪校で有名で、毎年秋田県の高校総体では優勝を狙うほど。

2018年にはインターハイに出場しています

小松晃さんも同じく高校サッカーでインターハイに出場して注目を浴びた選手。

FWで天才ストライカーとして大活躍した小松晃さん。

当時はまだJリーグがなく、社会人よりも高校サッカーの方が注目度の高い時代だったので小松晃さんはヒーローでした。

現在はサッカー解説で活躍する元日本代表の都並敏史さんも「飛び抜けてすごかった」と小松晃さんの実力を認め、とにかく強烈なシュートが持ち味。

では世間の注目を集め、釜本二世と言われた小松晃さんの高校時代についてみていきましょう。

小松晃の高校時代のスーパーゴール

小松晃さんは高校時代に第59回全国高校サッカー選手権でとんでもないスーパーゴールを決めています。

高校3年生の時に全国高校サッカーで西目工業高校は、1回戦目で北陽高校(大阪)と激突します。

試合は西目高校が先制していましたが、後半23分に北陽高校にゴールを許し1-1の振り出しに戻されます。

その直後の小松晃さんのプレーがこちら。

失点直後のキックオフ。

北陽のゴールキーパーがベンチの仲間と味方のゴールで喜び油断しているところを、小松晃さんは見逃しませんでした。

今ここから打てば入る!

審判に早く笛を吹いてくれと願い、味方に「早く!」と声をあげます。

そして、ボールをもらった小松晃さんは一切の迷いもなくセンターサークルから右足を一閃

小松晃さんのシュートは焦るゴールキーパーをあざ笑うかのように越えてゴールに吸い込まれます。

その距離50m。

弾道が少し低かったらゴールキーパーに止められていたし、山なりになっていたら同じくキーパーに戻る時間を与えてしまいなし得なかったゴール

これが小松晃さんの高校時代の伝説のゴールとなりました。

ちなみに、小松晃さんは普段の練習からセンターライン付近からゴールに向かってボールを蹴っていたようで、あの瞬間はチャンスがきたと思ったみたいですね。

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小松晃が日本代表選出

高校時代のスーパーゴールで実力が知れ渡った小松晃さんは高校3年生の時にU-20日本代表に選出されます。

そして、世界を相手にハットトリックを決めるなど天才FWの名に恥じない活躍を見せ、ついに日本代表(A代表)に選ばれました

小松晃が日本代表選出

 

当時は日本代表は実業団の選手ばかりで高校生が入ることは考えられない時代。

(Jリーグ発足前なので実業団が大人のカテゴリー)

今でいうとレアル・マドリードに移籍した久保建英さんのような感じですね

18歳で日本代表に選出された小松晃さんは練習から実業団の選手の中に入っても見劣りすることなく、自信もあったのか堂々としたプレーを見せます。

そしてついに小松晃さんはサッカー日本代表の選手として世界の強豪と対峙することになるのです。

小松晃が代表デビューで幻のゴール

1981年の冬、日本代表はポーランドとの国際試合が決まっていました。

当時の代表監督である川淵三郎監督はこの滅多にない強豪国との一戦に、18歳の小松晃さんを選出

国民は誰もが「高校サッカー50mゴール」の小松晃さんに期待していました。

小松晃が代表デビューで幻のゴール

しかしながらまだ経験も少なく最年少の小松晃さんは前半をベンチから見守ることに。

日本は開始早々から失点を許し、あっという間に2点を先制されます。

PKで1点返すも、3点目を決められ差を縮められません。

そして迎えた後半18分、ついに小松晃さんが投入。

18歳での代表デビュー戦の相手はポーランド!

小松晃さんの投入後にポーランドに4点目を決められてしまいますが、試合終了30秒前、味方が蹴ったFKを頭で合わせたのは小松晃さん。

ボールはそのままゴールへ吸い込まれます!

18歳の代表デビュー戦に代表初ゴール。

誰もがそう思った瞬間、主審のホイッスルが鳴り小松晃さんのゴールが取り消されてしまいました。

味方が主審が笛を吹く前にFKを蹴ってしまったという判定でノーゴール。

小松晃さんの代表初ゴールは幻のゴールとなってしまいました。

国民はみな小松晃さんに期待しました。18歳のデビュー戦でゴール同然の結果を出したヒーロー。

これからの日本代表は小松晃さんが引っ張っていくと誰もが確信していたのです。

しかし、小松晃さんが代表の舞台に戻ってくることは二度とありませんでした。

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小松晃が消えた理由

小松晃さんは代表デビューとなったポーランド戦を最後に代表に呼ばれなくなってしまったのですが、天才が消えた理由は何なのか?

高校卒業後、小松晃さんは釜本邦茂さんが監督(選手兼任)をしていたヤンマーディーゼルに入団して釜本さんの遺伝子を受け継ぐことに。

(ヤンマーディーゼルは今のC大阪)

第二の釜本」へ成長すると思い期待されます。

小松晃が消えた理由

そんな小松晃さんをメディアはヒーローだと祭り上げ、連日取材を繰り返しました。

ポーランド戦での幻のゴールの効果もあり小松晃さんに対する期待が大きく膨れ上がります。

小松晃さんも自分だけはポーランド相手に通用したと感じました。

その結果、小松晃さんは完全に調子に乗ってしまい「自分は天才で特別な選手だ」と勘違いしてしまいます。

そしてヤンマーディーゼルに所属してからの4年間であげたゴールはなんとゼロ

試合に出してもらえない時に悔しくで練習するのではなく「なぜ俺を使わないんだ!」と怒る小松晃さん。

そして結果が出ない状況でも人のせいにして自分の実力不足を認めることをしませんでした。

天才ストライカーもあぐらをかいていれば、必死に戦っている選手たちに追い越されるのは当然で、代表から消えただけでなく日本サッカー界から消えたも同然でした。

それでも「このままではいけない」と改心し小松晃さんは1985年〜1990年までの間に11得点をあげる活躍を見せました。

しかし、小松晃さんの才能から考えるとかなり少ない数字ですよね。FWというポジションから見ても物足りない数字です。

58試合で11ゴール。これが小松晃さんがヤンマーディーゼルで残した成績となりました。

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小松晃の引退理由

1990年、小松晃さんはヤンマーディーゼルから京都紫光クラブへ移籍。

(京都紫光は現在の京都サンガF.C.)

そこで1992年までの2年間で28試合に出場して6ゴールを挙げています。

そして小松晃さんは1992年に30歳という年齢で引退しました。

高校卒業後の4年間でノーゴールに終わっていましたが、その後徐々に結果がついてきていたにも関わらず引退。

一体、小松晃さんの引退理由はなんだったのか。

怪我が原因かと思いましたが、小松晃さんは大きな怪我なく現役を終えています。

おそらく50mゴールのイメージや周囲の期待と実力のズレから精神的に負担がかかり続けたことが引退理由ではないでしょうか。

本人も「あのゴール(50mゴール)がなかったら」と言っていますからね。

小松晃の現在

小松晃さんは引退後の現在は何をしているのかというと、サッカーの指導者として活躍していました。

小松晃の現在

小松晃さんは京都紫光を引退してそのまま京都のコーチを務め、その後は神戸でもコーチとしてサッカーに関わっていたのです。

そして2006年に神戸大学のサッカー部監督を任されるのですが、練習中に選手に手を上げてしまいそれが思いの外大問題に

2011年にこの事件が原因で監督を解任されてしまいます。

その後はヤンマーディーゼル時代の先輩の誘いで明徳義塾大学の監督に就任、翌年には明徳義塾高校の監督としてサッカーを教えています。

現在も明徳義塾高校で監督をしているようです。

小松晃さんの真似をしてセンタサークルからゴールを狙う練習をする選手もいるとかいないとか。

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小松晃というサッカー日本代表の現在と消えた理由まとめ

小松晃さんは西目農業高校のサッカー部で、全国高校サッカーに出場し50mゴールを決めて注目されます。

U-20代表でもハットトリックを達成するなど、しっかりと結果を出したことで呼ばれたA代表。

代表デビューとなったポーランド戦では幻のゴールを決めて、日本中が小松晃さんを天才だと祭り上げます。

そのせいか、調子に乗ってしまった小松晃さんは4年間もゴールを産むことができず苦しむことに。

結果として日本代表経験はたったの1試合のみ。

消えた理由としては右足ふくらはぎの怪我であると考えられます。

現在は明徳義塾高校の監督として活躍中。

消えた天才、小松晃さんは現在もサッカーとともに生きていました。

【今日の消えた天才】
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