お笑いコンビ・アインシュタインの河井ゆずるさんの生い立ちがヤバいと話題になっています。
なんでも、河井ゆずるさんが幼い頃に父親は蒸発し、母親と弟と3人で一緒にビルの屋上に建っていたプレハブ小屋に住んでいたのだとか。
アンシュタインの河井ゆずるさんがどのような生い立ちを経てここまできたのか紹介します。
河井ゆずるの生い立ちがヤバイ!
アインシュタインの河井ゆずるさんの生い立ちがヤバすぎると話題になっています。
河井ゆずるさんは母子家庭で、母親と2歳年下の弟と3人で生活していたそうです。
3歳で父が蒸発し、母は子供2人を育てながら朝から晩まで働き詰めで、河井ゆずるさんも家族を支えるために高校生の頃から様々なアルバイトをしていたそうです。
おもちゃなども買ってもらえないので、幼い頃の弟との遊びはレジ袋を頭にかぶってどこのお店のものか当てるというものだったとか。
また、河井ゆずるさんが17歳の頃から家族で住んでいた家がとんでもないところだったので、後ほど詳しく紹介します。
幼少期に父が蒸発し30年音信不通!
河井ゆずるさんの父親は「買い物に行ってくる。」と言い残して家を出て、そのまま蒸発してしまったのだとか。
父が蒸発した当時、河井ゆずるさんは3歳で弟さんは1歳になるかならないかの時だったそうです。父が出て行ってから約30年間、連絡はおろか一度も会うこともなかったそうです。
当時、河井ゆずるさんの母はスナックのママ、父は夜のお店など色々な商売をしていたそうです。
両親は父の女性関係でたびたび揉めていたそうで、実はそれが原因で父は半ば母親に追い出されてしまったのだそうです。
父親が出て行ってから一度も会っていないと話していた河井ゆずるさんですが、2015年3月26日にツイッターで父親と30年ぶりの再会を果たしたことを報告していました。大人になってからは父と連絡を取り合っているようですね。
母は貧乏からの一発逆転を狙いパチンコにハマる
父と離婚した後、親や親戚には頼らず幼い子ども2人を育てるために河井ゆずるさんの母はスナックの仕事を辞め、大阪の心斎橋筋商店街で喫茶店を始めました。
母の経営していた喫茶店は20席ほどの小さなお店で、ライバル店も多かったためいつも赤字ギリギリだったそうですが、なんとか切り盛りしていました。
河井ゆずるさんが中学生になるくらいまでは貧しいながらも月並に生活していたそうです。
そんな中でバブルが崩壊したことで店の経営は一気に苦しくなり、追い詰められた母親はパチンコで一発逆転を狙うようになり、大負けして喫茶店の営業後にバイトをするという悪循環に陥っていきました。
そして、河井ゆずるさんが17歳の時に、ついには店の家賃どころか、住んでいた部屋の家賃も払えない状態になり、一時はホームレス寸前だったそうです。
河井ゆずるの実家はプレハブ小屋だった!
家賃が払えず住む家を失った時に、知人の紹介で住み込みのビルの管理人の仕事を紹介してもらってホームレスは回避できたそうです。
ただ、河井ゆずるさんの家族が住むことになったのは心斎橋の飲み屋街の雑居ビルの屋上に建てられたプレハブ小屋でした。元々は掃除用具などを保管しておく小屋で、管理人の休憩所として利用されていたところだったのですが、壁や屋根はペラペラのベニヤ板だったので、家の中でも外とさほど変わらない状態だったそうです。プレハブ小屋を本館、少し離れた機械室を別館と呼んでいたそうで、別館には仮設の浴槽とトイレがあったそうです。
ただ別館には脱衣所がないので、お風呂の時は本館で服を脱いでタオル一枚で別館までダッシュで走っていたのだとか。
特に冬場の入浴は命がけで、河井ゆずるさんの母は「心臓が止まらないように」と服を脱いで胸を「ドンドンドン」と叩いてから、タオル一枚で別館に走って行ったのだそうです。